(「コメント」は芹沢です)  

【1%の強欲が富を独占する資本主義は崩壊するしかない、マルクスの出番です】(2011/12)

 国民の豊かさを測る新しい「幸福度指標」の試案を内閣府の経済社会総合研究所が5日、発表した。 しかし、現在「貧困率」や「ジニ係数」という国際尺度があるのに、日本独自の「幸福度指標」は果たして必要なのか。

 この尺度では「国際比較」ができず、市民の目を逸らすための目潰しになる可能性がある。そもそも、経済的・資産的以外の幸福基準は、各自の物差しが違い国が「幸福度」の基準を造るなど奥がましく、私はそん事を頼んではいない。

  因みに、日本の[ジニ係数」は80年0.278,90年0.295,20年0.314と年々上昇している。生活必需品に掛かっていた「物品税」を廃止し、赤ちゃんのミルクとダイヤモンドに同じ課税をする「消費税」を導入したのは誰か!一方で自民党政府は贈与税や相続税を減税し、最高所得税率を下げ、最低課税所得を上げてきたのであり貧富の格差拡大は当然である。
 私は子供の頃に学校で税制の目的は「富の再分配」と習ったが、今その税制は富の再分配の機能を果たしていない。税金は富める者からより多く徴収し、安易な「受益者負担」や消費税率引き上げに反対する。尚、「貧困率」(平均所得の半分に満たない人の割合)はスエーデンの5.3%に対し、日本は15.3%(2000年)である。

 

『原発輸出を強行する民主党に未来はない』(2011/11)

 原発事故で自分の頭のハエも負えない政府が「原発輸出」とは何を考えているのか。自国で大事故を起こし国民から「停止・廃止」を求められながら、外国への原発輸出は危険より利益に群がる「原子力ムラ」の目的である。
 使用済み核燃料の最終処分場処か、除染した土砂や焼却灰の処分先さえ決まら行き詰まって原発を輸出するとは余りにも無責任である。その最終処分先に「モンゴル」との発言はモンゴル人民を愚弄するものである。
 政府は「避難区域」の見直しを検討しており、それは、今後も原発事故の可能性否定しておらず、再び原発事故を許していい訳はなく、それが私たち大人の子供たちへの責任である。

 

【菅前総理の「脱原発宣言」じたいが亡霊だったのかも?】(2011/10)

 菅前首相は今回の原発事故を受けて「原発依存度を減らしていく」方針とを打ち出したが、野田首相は所信表明で「原発への依存度を可能な限り引き下げる」と「減原発」を唱えながら、国連では再稼働の可能性を示唆し、更に原発輸出さえ肯定した事は言語道断である。

 

 菅首相の【脱原発】は正に亡霊・夢だったのか!?。福島瑞穂・社民党党首の原発再稼働への質問に野田首相は【政府が責任を持って判断する】と答えたが、『現状』に責任果たしていない政府にその判断の資格も能力もない。

 

 徐染した土砂や焼却灰の処分も決まらず、否、使用済み核燃料の処分さえ決まらない中で、自民党政府は無責任に原発を稼働させてきたのである。各原発の使用済み核燃料プールやドラム缶詰めの汚染物質はもう満杯であり何処に処分するのか、誰が、何処が引き受けるのか!『トイレの無いマンション』は使えないのである。


 連合の「原発見直し」宣言は時間稼ぎであり「脱原発」ではない。景気が悪くなっても10年前の生活に戻っても子どもたちに悔いを遺すような事があってはならない。 あの【計画停電】は何だったのか!?正に「電気が足りなくなるぞ~」との脅しであったのである 。

 

 

【人間の知恵は「武器」でしなないのか】(2011/9)

 

 人間は進化し便利なものも開発し造ってきたが、イラストの様に本来「不必要」な物も造ってきた。否、この再生産には貢献しない「完全消費」の武器を金儲けのために利用す人を『死の商人』とも呼び、日本でも「武器輸出を」との声も出始めている。
 そして、景気浮揚のためや自己防衛の名において「デッチアゲ」の戦争始める国や人もいる。ベトナム戦争然り、イラク戦争然り、日中戦争然りである。
 アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明したが。それが戦争に使われることに悩んだという。科学技術は「諸刃の剣」であり、それをどう使いどう生かすかは人間の知識と知恵の違いであろう。ダイナマイトを戦争使うか、トンネルを掘るのに使うかそれが人間の「知恵」であろう。
 地球の資源やエネルギーは無限ではなく、しかも、先進国だけの物ではない。アフリカの子どもたちは「餓死」しており、もういい加減【馬鹿な競争】に気付かなくてはならない。

 

【「原発へのミサイル攻撃が」悪夢から、正夢になる日が・・・】(2011/8)

 

 日本は自衛戦争を肯定し「自衛隊」の名の軍隊を保持している。
 しかし、その戦争への「原発」が無防備なのは矛盾している。戦争にタブーは無く戦争になれば如何なる手段を執っても勝つことを考える事は歴史が証明している。戦争で『原発への攻撃はしない』などというルールはない。自己被害を最小にし、相手の被害を最大にするには「原発」はいい目標であるが、戦争を想定するなら原発保護策をなぜ採らないのか。
 外務省が84年に原発攻撃を受けた場合の被害を極秘に検討し、電源喪失の想定では急性死亡が最大1万8000人、急性障害が4万1000人と予測したが、言うまでもなく公表されなかった。(2011/7/31「朝日新聞」)
 いま原発は55基もあり「停止中の原発」が攻撃されても同じ被害が出るのである。つまり、自衛の名の下の戦争もしてはならず、平和を維持するには外交で『相互信頼』を築くしか方法はないのである。過日、吉田茂は「過去、戦争は自衛なの下に行われてきた」と国会答弁していた.

 

 

【見せない、言わせない、聞かせない。原発の事故隠し】(2011/7)

 

 東電・福島第一の原発暴走は発生から3ヶ月を経過し、未だ処理の見通しがつかないなかで、停止中の原発再稼働議論にあきれる。

    言うまでもなく原発事故の心配は放射能漏れ(汚染)とメルトダウンであるが、事故直後には既にメルトダウンしていた事を発表したのは2ヶ月も後のことであった。そして、放射能の影響には「風向き」伝えず只半径20、30キロの円を描き、時々刻々放射能を計測していた「スピーディー」のデーターも公表されなかったが、何の為に設置してあったのか。更に、事故直後「事故レベル7」であったが、これも公表されたのは1ヶ月後であった。

 作業員の被曝規制値は「非常の場合は別」と100から250ミリシーベルトに引き揚げたが、労働者の命に非常に平常もなく「戦死しろ」と言うに等しく、既にその値を超えた労働者が出ているという。否、線量計が足りないと線量計も付けずに作業さえさせ、作業員の被曝追跡調査では1295人もが所在不明(「東京新聞」7/1)だという。これは「放射線管理」などしていないに等しく、労働者の使い捨てであり正に原発事故の「データー隠し」でる。

 

 

 

 

【オットト あぶない、それでも原発推進するつもり!?】(2011/6)

原発の『綺麗で安全』の神話が崩壊し、『汚くて危険』が実証された。
 今まで地震があれば「自動停止」したと言って来たが、たまたま運良く自動停止しただけで原発は「綱渡り」である。現に下記のデーターの通り地震が無くても「制御棒」が脱落し、臨界に達した事故もあり、また地震そのもので「制御棒」が入らなくなる可能性もある。それは原子炉の暴走を意味する。
 また津波がなくても、外部電源が生きていても、冷却ポンプが働いても、地震そのもので原発の「配管」が破損すれば、今回と同じ「底なし沼」が再現する。
 95年にナトリウム漏洩火災事故を起こした「もんじゅ」は、2010年8月に炉内中継装置落下事故を起こし、その後、対処ができず今も停止したまま放置されている。人間は「絶対」ではなく、また、逆に原発には「もしも」はないのである。今回、その「綱渡り」の綱が切れたが、再度切れない保証はない。
 100万KWクラスの原発の設置費用は1基4000億円、しかし、通常廃炉でも廃炉費用は6000億円、その期間は30年(概数、東電問合わせ)であることを知っているだろうか。
 現在全ての原発の三分の二の35基が止まっており、残り三分の一は節電と努力で 徐々に原発停止・廃止は可能であろう。 

 

 

 

 

【「原発絵はがき」特集】(2011/5)

 

 

【『原発』を止めろ!】(2011/5)

        【やめられない、やめられない、原発中毒は人類の死にいたる病】

原発という「シャブ」を吸っている人類の近い将来である。

 蒲田慧氏はこれを『週刊金曜日』(4/26臨時増刊)に「毒まんじゅうとモルヒネ」と書いている。シャブに頼れば楽だが、その原発の恩恵から抜け出すのは容易ではなかろう。
 
 今回の原発事故はこんな小さな地震列島で原発を稼働するなら必然の人災であり、故に「首都圏」に作らなかったのであり、東京で起きたら1千3百万人もの強制移住は不可能である。

 『人間は絶対ではなく、原発にもしもは無い!』と私は言ってきた、人間が自然に勝てる訳はなく、地震も津波も確実に「想定」など出来る筈はない。過去を生かす事が最大の教訓であるが、過去の地震や津波も、スリーマイルやチュエルノブイリ事故でも「日本の原発は大丈夫」と他人事としてきたのである。

 政府、東電、マスコミは『想定外、1000年に一度』などと報じたが想定外ではなく、想定を「避けた」のである。地震学者は危険を指摘し1000年処か、M9以上の地震は『52年カムチャッカ地震、57年アンドレアノブ地震、60年チリ地震、64年アラスカ地震、04年スマトラ沖地震、そして東日本大地震』と、この「50年間に6回」も起きており、運良く日本付近で起きなかっただけである。しかし、そこまで考えると経済的にも原発の建設・設置が「不可能」であるから目をつぶったのであり、下図は日本が「地震の巣」であることを示している。

既に、核燃料が溶融し配管が破損し汚染水はタービン建家どころか、地下水や海にまで垂れ流され、底なし沼に注水しているに等しく、その修理は不可能で無限に汚染水を保管する場所などなく、何とか不完全でも循環冷却回路が不可避だが可能か否かだ。

 政府、東電は作業員に放射線量計も持たせず、更に、被爆限度を勝手に100から250ミリに引き上げたことは「命の差別」である。しかし、それだけではなかった。その直後、救命に限って「被爆無制限」が検討がされた(「東京新聞」4/20付)というが、それならまず提案した本人が行け!

 

 民主主義は原則、公より個を尊重する社会であり、公の為に個を犠牲にすることは避けなくてはならない。その最大の犠牲が国のため、天皇のためと、立派だ名誉だ英霊だと褒め称えた「戦争」であったことを忘れてはならない。犠牲を強いる人間は常に安全な場所に居る。

                        【『週刊金曜日』4/26臨時増刊号】より

 

  いま原発から引き返す「最後のチャンス」を失うか否かである。

原発の補助金や仕事をもらい反対しづらい環境もあろうが、それは軍事産業や在日米軍と同じ元に戻れなくなる「麻薬(シャブ)」であろう。
 そして、一番影響を受ける「これから生きていく、子どもたち」への責任は、私を含めた全ての大人たちの責任である。同じ事故、否、それ以上の事故が起きない保証はないことを自覚し、原発を止めて経済最優先を見直す時である。

 否、火力や水力と違い、原発は建設より「廃炉」に莫大な費用と時間を要するのである。

 

【『原発』緊急特集】(2011/4)

 東日本大震災で原発の「非常事態」が現実になった!
 政府、東電は「想定外」で逃げているが日本は地震列島・大国で地震や津波の「時期、規模」を想定できる訳はない!また、人間のやることに「絶対」は無く、逆に原発には「もしも」は無いと私は主張してきた。


 核燃料も溶け出し水素爆発を起こしている。この事態に当事者である東電社長の謝罪会見が何と事故発生「2日後」の他人事発言に怒りを感じる。また、1週間後の18日、初めて東電の小森明生常務が福島県を訪れ謝罪し号泣した(19日付「東京新聞」夕刊)というが、何故、社長ではなく常務なのか!

 

 新潟地震の時に柏崎原発の「消火栓」が出なかったが、地面・地核が変動し水道管も下水管ももズタズタになり、原発の消火栓だけ出る訳はなかろう。非常時に電気が生きている前提のポンプアップなどナンセンスである。また、危険物は分散するのが常識でり、「経済効率優先」の結果がこの始末であり、現地では更に7、8号機2機を計画中である。

    

 現地の原発職員、消防、警察、自衛隊員などの皆さんが今「命がけ」で必死で対処しているが、ご家族はどん

  【地震列島と原発の共存はできません】

 なにか心配であろうか。既に負傷者も出ており、これを人災ではなく「自然災害」で済ませるのか。これが政府の「原発推進策」の結果で到底、東電だけの責任ではなく、自民党の「お手並み拝見」の態度に憤りを感じる!

 

 以前から「原発は危険」と批判、反対の声があったが、チェルノブイリでもスリーマイルでも「日本の原発は大丈夫」と、地震があれば「自動停止した」と言ってきた。自動停止するような事があってなならず、「運良く自動停止」しただけで綱渡りだった。これが水でなく「ナトリュウム」を使った高速増殖炉だったらと思うとゾッとするが、あり得ない話ではない。 否、今その高速増殖炉「もんじゅ」は炉内に燃料棒が「落下」したまま対処出来ず停止しているのである。日本初のこの福島原発1号機は30年とした寿命を延長し40年も使用しているオンボロ原発である。また、3号機は昨年9月からプルサーマル運転に入り、燃料はウランではなく「MOX燃料」つまりプルトニュームであることを何処も報じていない。 「メルトダウン」に陥らないことを祈っている! そして、現地で対処下さっている皆様に脱帽し、健康とご無事を祈っています。(文・芹沢昇雄)

                                            【『脱原発しかない』第三書館】

揺れる日本列島が原発を拒否している、最初の図のタイトルは

「地震列島と原発の共存はできません」

以前から大地震が起きだら原発の大事故が起きると危惧されていたが

3月11 日に起きた「東北関東大震災」によってそれが証明されてしまった。
9・Oという「想定外」の大地震と、「想定外」の大津波の襲来で、

1万数千人の犠牲者がでる大災害となった。
この天災以上に恐ろしいのが人災、福島原発の事故である。
1号機から4号機まで制御不能状態で最悪の場合、大量の放射能が漏れ出し

福 島県内にとどまらず。

東日本いや日本自体が死の列島化しかねない。
スリーマイル事故をこえ、チェルノブイリ事故に迫まる、
歴史的な原発事故となるかもしれない。
上の図版は4半世紀ほど前に出した本『脱原発しかない』の表紙。
原発に無数の赤ちゃんたちが押し寄せる絵は、
赤ちゃん (末来)による原発文明に対する怒りと拒絶の抗議だ。
 『反原発新聞』の編集長西尾漠氏の文、それに私、橋本勝の絵によるものである。
 2O数年前の本とほいえこの本が訴えているものほ決して古くなっていない、
 いや現在の危機的状況を予告し強く警告している本だと自負している。
 ゼヒ読んで見ていただきたい。
 しかし4半世紀色前にこのような本を出していながら
 脱原発を実現させていなかったことには激しい自責の念を覚える。
 もし今回の福島原発の事故が最悪のことにならずにすみ、なんとか生きのびることが
 できたら今度こそ絶対に「反原発」を日本に、世界に実現するため
 風刺漫画という表現手段で頑張りたいと思う
 そう脱原発しかないのである。(絵と文・橋本勝)

 

【ビルマの竪琴と泰緬鉄道】 (2011/3)

この映画『ビルマの竪琴』(1956年)を今どのくらいの人が知っているだろか。
 敗戦後のビルマで、降伏後も戦う部隊の説得「伝令」に出された水島上等兵は説得出来ず、独り原隊が収容されているムドンを目指す。しかし、その途中で多くの放置された戦友の遺骸を目にする。


 ムドン収容所まで辿り着くが放置された戦友を忘れられず、ビルマに残る決意をする。収容されている本隊が使役労働の帰り、橋の上で水島らしきビルマ僧侶に出会うが彼は知らないふりをする。 

 

 やがて戦友たちの帰国が決り鉄条網に囲まれた収容所前に彼が現れ、手製の竪琴を手に『埴生の宿、仰げば尊し』を弾く、戦友たちが「水島!一緒に帰ろう!」と訴えるが、水島は自身の思いを貫くため黙って去って行った。水島が収容所出入りの物売りのバーちゃんに託した手紙を、隊長が帰国船の中で部下に読んで聴かせるシーンで映画は終わる。

 水島はその後、帰国できたのか?現地に止まった元兵士たちは現に居る。 この犠牲は誰の責任なのか!?

 

 しかし、ビルマ戦線の犠牲は日本兵だけではなく、当時、日本軍がジャングルの中でビルマとタイとを結ぶ415キロの『泰緬鉄道』を僅か1年4ヶ月で建設のため、捕虜や強制労働などのロームシャ数10万人が動員され、数万人の犠牲者も出している。 「人間を人間でなくす」戦争は絶対!避けなくてはならない。

 

【高齢者を泣かせていいのか!】 (2011/2)

  世は高齢者社会となり「老々介護」や「シングル介護」、「無縁社会」等の言葉が行き交い、貧しい老人は特養ホームの空きを待つうち亡くなり「孤独死」も珍しくなく、こんな社会で良い訳はあるまい。自殺者が13年連続で3万人を超えている社会は間違っていないか!?

 戦後の焼け野原からこの国を立ち上げたのは、戦争を生き抜き、また、戦地で生き抜き帰国た人たちである。「老化」は順送りであり他人事ではなく、この世代の皆さんを泣かせていい訳はあるまい。これは政治の貧困であるが、それは政治や社会に無関心を持たず、選挙にも行かない市民にも責任があろう。

 

 

【高峰秀子さん逝く・二十四の瞳】(2011/1)

 (映画はイラストと同じ「モノクロ」であった) 1954年制作 

 

 年末の28日、数々の映画に出演した名女優・高峰秀子さんが亡くなった。
 古希を迎える私が6年生の頃に観た『二十四の瞳』は一番感動した映画であり、いま観ても胸がいっぱいになり『平和と教育』の原点の映画・小説と思っている。

 

 時は昭和の初め、高峰秀子演じる大石先生は瀬戸内海・小豆島の小さな「岬の分校」に赴任し新1年生12人の担任になる。田舎には珍しく代用教員ではなく新卒で、まだ珍しかった自転車に乗って颯爽と登場し注目を浴びる。

 しかし、教え子は貧しく松江には妹が生まれるが直後に母とその子が亡くなり、父親は『こんな貧しい家に生まれ何のいい事があるでしょうか。死んだ方が幸せです』と先生に訴えるのである。大石先生は松江の欲しがっていた「ユリの花」のついたアルマイトの弁当箱を渡し「ユリの花のお弁当箱を持って 学校においでね、先生待っているからね」と伝える。しかし、そのお弁当箱が使われることはなく、松江は学校を辞め奉公に出されてしまう。大石先生は修学旅行の金比羅さんで偶然、ウドン屋で働く松江を見つける。しかし、一緒に帰れる訳もなく松江はウドン屋の裏で一人、帰途につく修学旅行の船を涙で見送るのである。

 

 やがて社会は戦争に向かい大石先生は学校に自由が無くなり、文集『草の実』も読んでやれなくなり希望を失い教壇を去った。卒業したコトエは結核で伏し家族からも隔離され誰にも会えず、見舞いに来た大石先生に「先生、私もう永くないんです。先生、苦労しました」と訴えられ、「何言うの、元気出さなくちゃだめじゃないの」と励ましながらも、「そうねぇ、苦労したでしょうね」と共に泣くのである。 

 
 大石先生は結婚し3人の子に恵まれるが遊覧船の機関士だった夫は戦死、村では出征の時は大騒ぎしたが遺骨が帰る時は迎えもなかった。 戦争は終わったが末娘の八津は空腹のため柿の木に登り転落し亡くなる。そして、教え子も戦死し男子5人のうち遺ったのはキッチンとソンキの2人だけ、そのソンキは戦争で失明していた。しかし、ソンキには昔、浜辺でみんなで撮った「写真」(イラスト)は見えるのである。その写真を手にソンキが指でなぞりながら説明する姿を見て大石先生はまた涙を流す。

 

 苦労した松江も駆けつけたたその同窓会の「床の間」に真新しい婦人用自転車が1台、それは大石先生への教え子たちからのプレゼントだった。大石先生はその自転車に乗り再び「岬の分校」の教壇に立つのである。その教室で親となった教え子の子どもたちに出会い昔を想い涙する大石先生、因みに生徒たちがつけたあだ名は「泣きみそ先生」だった。雨の中、自転車で学校に向かう途中で雨が止み、大石先生は空を仰ぎカッパの帽子を脱ぎ再び自転車で学校に向かうシーンで映画は終わるが、そのBGMは「仰げば尊し」である。

  因みにこの映画には随所に童謡・唱歌が挿入され、『アーニー・ローリー♪村の鍛冶屋♪故郷♪七つの子♪春の小川♪荒城の月♪浜辺の歌』等その音楽効果も素晴らしい。 

 私は子供心に優しく綺麗な大石先生に憧れていた。

 

 他にも聾唖者夫婦を描いた『名もなく貧しく美しく』、灯台守を描いた『喜びも悲しみも幾歳月』などを思い出す。しかし今、灯台も測候所も「合理化」の名の下に無人になってしまった。

 

 いま官憲の「電話盗聴」が合法化され、住基ネットで「個人情報」が権力の手に集約管理され、自衛隊の「治安出動」が合法化され、「日の丸・君が代」を起立斉唱しない教師は処分や再雇用を取り消されている。 既に、治安維持法の時代、あの大石先生の時代に入り、自由が制限され「何時か来た道」を歩き始めている。