服役出所後【真犯人が判明】した冤罪事件
冤罪や再審無罪が確定しても「真犯人」が捕まらないと信じない人もいるか、下記は何れも真犯人が判明した事件である。逮捕のキッカケは何れも「目撃証言」であり、冤罪の多くが「自白と目撃証言」が原因になっている。裁判所も裁判官も、弁護士されも信じられずいずれも【控訴もせず服役し、出所後に真犯人が判明した事件】である。「目撃証言」の曖昧さや、裁判所・裁判官への「不審」などが共通しているが、これは『氷山の一角』である。その後も「志布志事件、足利事件、布川事件・・・・・」と再審無罪などが続いている。否、志布志事件や厚生省の村木さんの事件などは「デッチアゲ」でさえあった。また、松川事件、足利事件、布川事件・・・・・・、何れも検察は自らの「不利な証拠」を隠蔽していた。因みに米国の多くでは証拠は「全面開示」である。
【下田缶ビール事件】
1981年夏、下田の「海の家」で働いていたAさんが、缶ビール50ケースの取り込み詐欺の犯人として逮捕された事件である。1審で懲役10ヶ月の実刑判決を受け控訴もせず、服役出所後自分で真犯人を捜し出した。
「海の家」の名で取引のある酒屋に「後で取りに行く」と電話で缶ビール50ケースの注文があり、Bが代金後払いで受け取り、その缶ビールを同市内の食堂に転売したのである。
逮捕されたAは「電話移転申込書」というアリバイと物的証拠があり否認を通したが無視され、Bと対面した酒屋の2人と食堂の1人のAが「似ている」との目撃証言で逮捕された。Aは誰も信じられず絶望し控訴もせず服役した。しかし、Aは同所で一緒に働いたBがギャンブル好きであった事を知っており83年2月の出所後、休日の度に各地の競輪、競馬場、競艇場などをBを探し歩き、遂にその年の12月に大井競馬場でBを見つけ出し、警察に突き出さし自らの無実を証明したのである。
【弘前大学教授夫人殺人事件】 1949年8月6日の、青森県弘前市で弘前大学医学部教授夫人が刃物で喉を刺されて殺害された事件。血痕が途切れた所にある家の家人・那須隆さんが「アリバイ」を無視され起訴されたが「一審無」罪判決後、控訴審での懲役15年が確定した、那須さんの出所後に真犯人が自首した。二度目の再審請求が認められ事件から28年目に無実が確定した。国賠は敗訴し2008年に84歳で亡くっている。
【宇和島事件】
1998年10月、愛媛県宇和島市内の民家から貯金通帳などが盗まれ50万円が引き出された窃盗・詐欺事件である。逮捕されたのは愛人関係にある男性で、銀行から引き出す男性の防犯ビデオの映像が「男性に似ている」との愛人の証言から逮捕された。しかし、その裏には愛人宅の鍵を持ち自由に出入りできるという警察の「先入観」があった。
男性は『自白』し論告で懲役2年6月の求刑をされ2000年2月25日に判決が下されるはずだった。しかしその直前、高知県内で窃盗容疑で逮捕された男が、この「宇和島事件」を自白したため、急遽この男性は釈放された。結審後、改めて検察がに裁判所へ審理再開を要請して論告放棄する異例の展開をみせたのである。
正に、偶然であり真犯人が逮捕されなければ男性は有罪判決を受けたに違いない。また、この真犯人が高知ではなく、宇和島事件発生の愛媛県内だったら真犯人の自白は間違いなくつぶされ無視され、男性は有罪判決を受けたであろう。
【富山氷見事件】
これは最近の事件でご承知の方も多いと思う。
2002年4月、当時16歳の少女を強姦しようとしたと、タクシー運転手のAさんが強姦未遂容疑で富山県警察氷見警察署に逮捕され、5月には別の少女への強姦容疑により再逮捕された事件である。これも逮捕のキッカケは被害少女自身の「似ている」との目撃証言である。
Aさんは犯行時間に自宅から電話を掛けた「アリバイ証拠」も無視され、懲役3年が確定し服役し05年1月に出所した。出所後の06年11月「宇和島事件」同様、他県で逮捕された真犯人の余罪自白でAさんの無実が確認された。
【土田・日石・ピース缶爆弾事件】
1971年10月、東京・西新橋の日本石油本館内の地下郵便局で、要人宛の2個の小包爆弾が爆破。さらに12月には、雑司ヶ谷の土田国保警務部長方でも届けられた小包が爆発し、土田夫人が死亡、四男が重傷を負った事件。1969年に起こった2つのピース缶爆弾事件と合わせて、計18人の赤軍派の元活動家が逮捕され、一審では1人が死刑(3414日間の拘置)、他それぞれに無期、懲役3~15年の有罪判決が下された。しかし、その後「真犯人が名乗り出て」全員の無罪が確定した。