(2013年)
(コメントは芹沢です)
【翼賛体制国会で作ろう!!21世紀版「治安維持法」】(2013/12)
日本版「NCS法」が成立したと言うが「特別秘密保護法案」と共に非常に危険である。米「NSC」が何をしていたか、スノーデン氏の告発に止まらず友好国のメルケル首相の携帯盗聴も秘密であり、これが権力の「秘密」だ。
平和は「外交」で守るものであり、その対極にあるのが軍隊・防衛省だ。軍隊は「如何に戦争を避けるか」は考えず、戦争になったら「如何に戦い勝つか」しか考えず、その手段は「原爆、毒ガス、枯れ葉剤、生体解剖・・・」如何なる手段も使うことは歴史が証明している。
そして、関東軍による張作霖の爆殺も満鉄爆破のヤラセも秘密だった。否、ベトナム戦争のトンキン湾事件も、イラクの大量破壊兵器もウソだった。
外交、防衛の秘密には既に国家公務員法や自衛隊法に処罰規定があり、関係者の思想信条まで調査し殺人罪にも等しい懲役10年まで科して脅す必要が何処にあるのか。
しかも、この法律には「外交、防衛」のみみならず、「特定有害活動」や「テロの防止」が加えられ、条文に「その他」が30数項目もあり「何でもあり」である。政府批判や原発反対の運動やデモが「有害」や「テロの恐れ」と規制される可能があり、現に、石破幹事長はデモを【単なる絶叫戦術はテロ行為と変わらない】と本音ををブログに書き批判されている。
チェク機関もなく政府が勝手自由に決め「何が秘密か、それが秘密」なのである。逮捕起訴されても「何を盗んだか」その理由が開示されるこはなくデッチアゲさえできる。更に、維新の会の修正「開示60年」後には関係者は既に亡く、真相究明も責任の所在も解明されず秘密のまま破棄され永久秘密の可能性さえある。
過去の教訓から防衛省は「文民統制」を守るため、内閣府の中に防衛庁として存在していたが、省に格上げされ長官は大臣となり発言権も強くなった。
日本版NSCの会合の参加者は「首相、官房長官、外相、防衛相」の4者というが、防衛省は平和の主役である外務省の対局にあり、平和を求める外務省が「弱腰」と、「個より公」と軍へのブレーキが効かず「軍事優先」であの戦争に突き進んだことを忘れはならない。参議院は「良識の府」を生かし「治安維持法」にも等しい国民の耳目を塞ぐ「特別秘密保護法案」を廃案にすべきでだ。
(12月6日、参院強行採決)
【ロボットが泣いている】(2013/11)
いま米は無人攻撃機でパキスタンを攻撃し、米国防総省は報告書で317回の攻撃で、武装勢力の構成員2160人が死亡し民間人犠牲者は67名としている。しかし、パキスタン政府関係者の情報として、04年以降の攻撃で2200人が死亡し、うち民間人が少なくとも479人が犠牲(国連調査)と発表しており、米の発表など信じるに値しない。無人機は米本土で操縦され、その米兵は「ゲーム感覚」と証言(NHK「クローズアップ現代」)しているが正にそうであろう。オバマ大統領はパキスタンの攻撃停止申し入れを無視(10.29「朝日」夕刊)した。無人機攻撃は兵員も食料の輸送・補給も必要なく、その上米兵の犠牲もなく安上がりの攻撃であるが、そんな事が許されていいのか!
しかし、今や遠隔操作も必要ない自立型『殺人ロボット』が開発され実用化(同NHK)されようとしている。つまり人がロボットに殺される時代が目の前まで来ているのである。そんな国に宣戦布告して戦う国や組織はなく、それは更なるテロを招くことを米は理解すべきである。
このロボットを見て欲しい自分の意思を持てない彼が「涙」を流しているのである。ロボットにこんな思いをさせてはならない。
【解釈憲法で戦争できる国】(2013.10)
安倍首相は「集団的自衛権」を認め、「積極的防衛政策」だという。
つまり、平和を外交や信頼関係ではなく「武力・戦力」で守るということであり、9月24日国連演説で『右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞそうお呼びいただきたい』ともで言って開き直った。
外交とは自己主張だけではなく、相手の立場も理解することでありそれが信頼と平和へ繋がる。しかし、安倍首相は自己主張だけで片手にげんこつを握り、「外交の窓口は何時でも開いている」と言っても誰もノックはしないだろう。
自衛隊を「自衛軍」にして、集団自衛権の名の下に自衛軍を海外に派兵し、自国が侵略を受けなくても「戦争に参加」するというのだ。そこに誰が行くのか!それを決める人間自身は何時も安全な所に居る。
敗戦後この59年戦争に巻き込まれなかったのは「憲法九条」があったからこそであり、もし、無かったらイラクやアフガン、ベトナムで米軍支援と戦争に参加していたであろう。
憲法の最大の目的は『権力を縛る』ものであり、その縛られる権力が自分に都合のいい解釈をし、更に、市民を縛る改憲など許してはならない。子や孫たちのために、何としても「九条」を守らなくてはならない!
【『オチプレイ』は要らない】(2013/9)
オスプレイは既に開発段階で①91年6月と②92年7月に2度の事故を起こし、92年のエンジン出火事故では乗員7名全員が死亡し、当時、全機飛行停止となった。
そして、初期生産に入った③2000年4月の夜間飛行訓練で墜落し乗員19名全員が死亡している。更に、④2000年12月の墜落でも4人全員死亡し再び飛行停止になった。
⑤09年5月には燃料切れで緊急着陸、⑥10年4月にはアフガンで着陸に失敗し乗員20名の内4名が死亡、⑦12年4月モロッコ南方沖海上で強襲揚陸艦で訓練中、離陸後に墜落し乗員4名中中2死亡、2名重傷の事故を起こしている。これで「安全」と言えるのか!
こんなオスプレイがなぜ「安全」なぜと言えるのか、橋本勝さんの『オチプレイ』表現は誠に的を射ている。
「沖国大」校内へ米の大型ヘリ墜落を忘れてはならない。当時、治外法権ももない大学の民有地に米軍の規制で警察さえ現場に入れない屈辱を忘れてはならなず、日本がまだ「独立国」ではないのでる。
【子どもたちの未来に戦争は要らない!】(2013/8)
自民党は憲法を改悪し自衛隊を「自衛軍」にし、「軍命令」を遵守させるため裁判所の関与を排除し、軍隊内に軍人だけを裁く戦前の「軍事法廷(審判所)」も設置するという。日米軍事同盟を強め「集団的自衛権」の行使も認めるというが、これは更なる戦火の拡大を招くことになる。
自民党の改悪案の9条2項には『自衛権の発動をさまたけぐものでない』と明記されているが、戦争は全て「自衛」の名の下におこなわれるのであり、日中戦争、太平洋戦争も、ベトナム戦争、イラク戦争も全て「自衛」のためとされ、今も「侵略」を認めない人たちがいる。
戦死者に「無駄死」と思わせないために、イヤだという人まで強制的に靖国神社に合祀することは「死者の利用」であり、「赤紙」1枚で死を強制したことは「命を捧げた」ではなく命を取られたのである。
石原前都知事と野田前首相が日中緊張のキッカケを作り、安倍首相はこの時とばかりイデオロギーを煽り、憲法96条の改正条項も三分の二から二分の一にするという。大人たちはこの先を生きる子どもたちに「戦争社会」を残してはならない。個人を確定する住基ネットや納税者番号は、やがて「徴兵制」に利用されるであろう。
【苦役を強制】する裁判員制度は「陪審制度」に切替えを(2013/7)
福島地裁郡山支部で今年3月、強盗殺人事件で「死刑判決」を言い渡した裁判員裁判の女性裁判員が、殺害現場のカラー写真などをモニターで見せられ休廷中に嘔吐し食事も摂れず、その後も「急性ストレス障害」と診断され「苦役を強制された」と国賠訴訟を起こした。(5.月8日付『東京新聞』他」)
他にも有罪や死刑判決の判断でストレスを感じている裁判員は少なくなく大きな問題になっている。しかし、4年目を迎えこの裁判員制度に大きな見直し処か「おおむね順調」と、この問題にも「心のケアーに心がける」程度で納めようとしている。
裁判員の呼び出しに応じなければ「過料処分」を科すことができ、つまり強制されている。また、有罪判決や死刑判断を「苦役」と感じる人を免除するなら裁判員制度や死刑制度に反対しない人たちだけの「仲良しクラブ」で裁判することになる。今ままでも多くの人が出頭せずまた拒否しているが、今まで一人も「過料処分」を受けた人はいない。処分すると憲法で否定されている「苦役の強制」になるからである。
量刑は裁判官が判断し、市民だけの「全員一致」で有罪無罪だけを判断し、無罪評決後の検察の上訴権を否定する「陪審制度」に切り替えるべきである。また、冤罪を防ぐために取調の可視化と、証拠の全面開示も必須急務である。
【「赤紙」一枚で死を強制された兵士たちは怒っている!】(2013/6月)
阿倍首相は自衛隊を「国防軍」にし、米軍などとの「集団安全保障」を是認し、そのための改憲発議を三分の二から法律と同じ二分の一にするという。
現憲法は戦力も交戦権も否定しているが、自民党の改悪案の国防軍は『自衛権の発動を妨げるものではない』と明記している。
しかし、侵略を公言した戦争はなく、戦争はすべて「自衛」の名の下に行われてきた。米のベトナム戦争もアフガン攻撃も、大量破壊兵器の嘘をデッアゲてのイラク戦争も「自衛」のための戦争でり、日本の日中、太平洋戦争も「聖戦」だったのである。
これらの戦争でどれだけの兵や市民が犠牲になったことか!人は過去の歴史から学ばなくてはならない。赤紙一枚で死に追いやられた多くの兵士は『まだ、繰り返すのか!』と怒っているだろう。
【過去を忘れるものは現在にも盲目となる】ヴァイツゼッカー元独首相
【前之事和忘 後之事師】(前の事を忘れず、後の教訓とする)周恩来
【安倍政権のファシズムを許すな!】(2013/5月)
7月の「参議院選挙」の投票箱から何が出るか?でこの国の重大な方向が決まる。
自民党が衆参両院で過半数を握り安倍首相が信任を得たと「何をしても良い」と考えるなら、合法政権だったナチス政権と同じである。「改憲発議」を国会の過半数で変えられるなら、一般の法律と同じであり「憲法」の重みを理解していない。
そもそも、憲法の最大の目的は「権力(政府・行政)の暴走を防ぐ」ための規制である。故に逮捕状が必要、自白を強要されない、苦役を強制されない、人としての最低保障の義務・・・・等で政府に基本的人権や生存権などを守ることを義務づけていることに、安倍首相は逆行している。
何よりも憲法99条には【天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ】とあり、首相や政府には改憲発議権が無いまばりか『遵守義務』が課せられ、首相や政府が改憲を公言することは、明らかに違憲である。
安全運転中の安倍首相はが衆参で過半数を握れば、化けの皮が剥がれナチス政権同様に少数や弱者を無視し(今も)「暴走」するであろう。政府自ら都合の良いように改憲を進めるなら正にファッシズムである。
【辺野古の海を米軍基地で埋めるな!】(2013/4)
安倍政権はとうとう普天間基地移転のための辺野古埋め立ての「申請」を出した。訪米時の「密約」でもあったのか?衆院で「信任を得た」と中央突破の様相である。その解決策は保証金として「金のばらまき策」であろう。原発も核燃サイクルの六ケ所村もそうだった。所詮、税金であり彼らは痛くも痒くもないのである。
あのジュゴンやイルカも住むという辺野古の綺麗な海を、米軍基地のために埋め立ててもいいのか!?一度失った「自然」を取り戻すのは困難である。
平和を守るのは軍隊ではなく「外交」であり、その方法は憲法前文に【日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。】と記してある。安倍首相はこの『平和憲法』を邪魔だと改悪すると公言しているが断固!改悪を許してはならない。生活保護をカットしてまで軍事費を増やした安倍政権が、参院選で勝利すれば暴走し現代のヒットラーとなり次は「原発再稼働」である。
『憲法9条のガード、96条の改悪を許すな!』(2013/3)
【改憲のための標的】 【かくて憲法はボロボロに】
改憲は96条により一般の法律と違いその発議には「両院総議員の三分の二」という重い規制で守られている。しかし、安倍首相は自衛隊を「国防軍」に改悪するため、まずはこの96条三分の二の規制を「二分の一」にする事を目指している。それでは一般の法律と同じであり憲法の重みを理解していない。
憲法9条がありながら、安倍首相が堂々と「海外では軍隊である」と公言する様は、憲法を守り権力の行き過を監視すべき最高裁が機能してない結果であり、三権分立処か政府癒着も甚だしい。
「砂川裁判」で在日米軍の違憲判決をした伊達秋雄裁判長も、「長沼ナイキ訴訟」で自衛隊違憲判決をした福島重雄裁判長も、判決後「左遷され」辞任したのであり、こんな国は到底「先進国」などとは言えない。両院で過半数を取れば「信任された」と何をしてもいいなら、合法政権だった「ナチス政権」と同じである。
「憲法の目的」は権力の行き過ぎ(暴走)縛るものであり、国民を縛るものではない。
「過ち」を繰り返さないため、何としても憲法の改悪を許してはならない。
『前事不忘 後事之師』(2013/2)
安倍首相はパフォーマンスがお上手である。
就任早々「閣議室」を公開し、初めてでもないのにマスコミはすっかり乗り、『閣議の途中経緯を公開する』などとコメントしたTV局もあった。閣議の経緯では無く単なる「閣議室」の公開がそれほどの価値があるのか。
首相は早速被災地へも出かけてが「所信表明演説」には原発の「ゲ」の字も出ず、就任前には威勢の良かった「国防軍、自衛隊法、憲法の改正」にも触れることはなかった。
従軍慰安婦への本音も出さず参院選挙までの「安全運転」を心かがている。元慰安婦にされた皆さん始め、あの侵略戦争で加害・虐殺した加害を隠そうとしても被害者の口を塞ぐことはできない。未だこの国は戦争の「ケジメ」がついておらず、日本軍が残した違法な毒ガスでの被害にも補償は必要ないとしている。
ヴァイツゼッカーが『過去を忘れる者は現在にも盲目となる』と、周恩来も『前事不忘 後事之師』(前の事を忘れず、後の教訓とする)と全く同じ事を言っているが、まさに日本に向けられた言葉である。
安倍首相政権は参院選で勝利すれば「化けの皮」が剥がれ、ナチス政権同様『合法政権だと暴走』するであろう。
『原発は21条を弾圧する!!』(2013/1)
首都圏反原発連合が、日比谷公園から国会周辺まで脱原発を訴えるデモ行進を11月11日に行うことを企画し、東京都に対し、日比谷公圏内の霞門とその周辺を本件デモ出発のために同日午後1時から3時までの間一時的に使用することの承認を求める許可申請を東京都は「不許可」とした。これに対した主催者側の仮処分申請を地裁は認めず、更に、高裁もその抗告もは却下したことは不当である。
裁判所は憲法21条の『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』の重みを理解していない。東京都の不許可を認めた事は民主国家とは言えず、表現・集会の自由への明らかな「弾圧」である。
条文には『一切の表現の自由を保証する』あり、到底「管理上の問題」などで不許可にすることは許されない。裁判官は『治安維持法』の時代に「言論・表現の自由」を奪われた事が如何なる結果を生んだか知らないのか。裁判所は権力の行き過ぎを監視する義務を放棄している。