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 95年1月17日未明「阪神・淡路大震災」が起き、私はそのTV画面を見て愕然とした。
 高架の高速道路が倒れその道路上のバスが宙吊り、大きなビルがそのまま倒れあちこちで火災が起きていた。生まれて初めて見る光景であった。

 

 「どうしよう、何かしなくては後悔する!」と考えたが、勝手に行っても迷惑をかけると思いボランティアを募集していた「難民を助ける会」に登録した。10日後、勤務先に「車を持ってるか?」と連絡が入り「4駆を持っている」と答えると、車で大阪の「日通天王寺倉庫」に来るよう日時を指定された。会社に1週間の休暇を出し埼玉を夜に出て早朝に天王寺倉庫に着いた。

 

 地元警察でもらった「許可書」をフロントガラスに張り、物資と同乗者を乗せて出発した。大阪市内は何時も通りの生活をしている。パチンコをして、酒を飲んで・・・何故?「俺が埼玉から来たのに大阪の人は何しているの!?」と一瞬思った。

 

 現地に近づくに連れ次第に倒壊家屋が目立ち始めた。あの倒れた高速道路の下を通り、神戸の須磨区区役所まで12時間もかかった。私達は現地に迷惑を掛けないように水や食料などすべて持参で現地に入った。しかし、避難所の皆さんが自分たちの食料を差し出し「食べて行って」と言うが事情を話し断った。やはり「嬉しかった」のだと思う。

 

 ある日、高台の小さな保育園の庭でたった一人で「ボランティア」の腕章を巻き、子供たちと遊んでいる男子学生を見た。「こんなボラも必要なんだ!」と気づき感動した。ボラと言うと食料や輸送などは誰でも気づくが、こんな目立たない地味なボラをたった一人で、子供たちと遊んであげている学生に感動した!

 

 そして、避難所などでも皆さんがお互いに助け合っている姿にも感動し、多くの事を学ばせて戴いた。 改めて6,434名の犠牲者のご冥福をお祈り致します。