「河童橋~涸沢カール」(2013/10)
「栗駒山」(2012/8)
花の「秋田駒ヶ岳」2011/7
「黒部渓谷・下ノ廊下」(2010/10)
(1960年代当時の上高地「田代池」今は形も変わり流れになってしまった)
(60年代、一人で一週間アルプス縦走、裏剣・二股からの『三ノ窓の雪渓』
(天狗池から槍ヶ岳・1980年代)
「車椅子富士登山」車椅子5人、ボラ含め約100人(1986/8)
映画『二十四の瞳』流に言えば、「この話はもうふた昔以上も前の話である」。20代から山歩きをしていた私は新聞の角に「車いす富士登山ボラ募集」の小さな記事が目に付いた。好きな山歩きで役に立つなたらと応募したのである。
車椅子傷がい者10人の他に、義足、全盲など独歩障がい者15名にボラ80人の2泊3日の富士登山であった。太いタイヤに改良した車椅子1台にボラ8人前後でU字に縄を付け6名前後で引っ張り後ろに舵取り一人、後は交代要員である。最年少は9歳の小学生から70歳まで、職業も生徒・学生、主婦、会社員、看護士・保健士と様々だった。
途中苦しい場所もあったが力を合わせて頂上に着いた時は、みんな喜び会長も男泣きしていた。片足義足の方はとうとう誰の手も借りず頑張り自力で頂上へ辿り着いた。目の見え名人も風や香り音・・・などで景色を感じることを初めて解った。その後も、独歩障害者と毎月数人でハイキングを続けていた。
この『野菊の会』に参加し少し障害者への理解が進んだかと思う。街で障害者に会っても以前の様に特別な目で見ることもなくなり、援助する時は決めつけや押しつけではなく、必ず「手が必要ですか?」と声を掛けてから援助するようにしている。参加した小学生も今はパパになり、今もボラや障がい者の何人かと年賀状が往き来している。良い体験をさせて戴いたと今も感謝している。
(山の秋)
「白山」
仙気ノ湯(湯蓮華温泉) 鏡池(雨飾山)
「御嶽山」
「岩手山」
安達太良山 六地蔵(檜枝岐村) 姥湯温泉